短信5
数年後、今の生き苦しさは美談混じりの思い出になっているかもしれない。だからこそ、記述していかなければならない。甘美な思い出になられては現在嫌々生きている自分の辛苦は無駄になってしまう。何でもいい、数年後の新たな価値観を持つ自分の役に立ってくれないと先々の苦労が出来ない、生き続けていけない気がするのだ…
今日は8月1日、まだ希望はあった。
自暴自棄になって十代に積み重ねてきた自分史は消してしまった。それまでの人生が無駄だったと烙印を押されたからで、流石にうなだれてしまったが、確かに全て無駄に思えたからだ。きっとこれからの自分の軌跡もまた一切が無駄に思えてしまう日がくるのかもしれない……